バナナの黒いとこ

ハイドロポンプの略称はドロンプ派です

きっかけ

2018年2月、なんとかなるやろと特攻した第1志望の関学の合格証を手にした僕は夢にも見た薔薇色のキャンパスライフに思いを馳せていた。元々大学でも弓道を続けたいという一心でそこそこレベルの高い大学を目指していたので、サークルに入るという考えはあまりなかった。しかし受験の波に揉まれるうちにその考えも揺らいでいき全て終わったころにはどっちでもいいなというスタンスになっていた。

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在りし日の僕


 とりあえず受験勉強から解放されて封印していた3DSでわざわざ東京で記念受験した帰りにアキバで買ったポケットモンスターウルトラムーンを狂ったようにやっていたのでポケサーがあるかをTwitterで調べた。すぐに出てきた。もう少し詮索してみるとどうやら日本一になるレベルらしい。強すぎる。ポケサーが全国的に大学間で交流しているというのも驚きだったが、こんなレベルの高い環境でポケモンしたいと当時の僕は本気で思っていた。

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人に見せれるレートではない

でも流石に大学生活すべてをポケモンにささげるのも如何なものかとなったので別に運動できるサークルも兼業でやろうと決めた。初めに思い付いたのはテニサーだった。大学といえばテニサーみたいな偏見があったし僕自身中学時代はテニス部だったので全然ありやなとなった。このころ葺合の二人組も関学ということがわかったので、あいつらもテニス部やし丁度ええなということでテニサーは第一候補になった。次に候補になったのがサイクリングだった。昔からママチャリで遠くに行くことが好きだったし、日本中を自転車で旅行しているという活動内容が魅力的だった。また神戸の友達が何人かその頃からロードに乗っていてそれに対する憧れもあった。しかしあまりにも資金力に欠けていたので(今もだが)保留せざるを得なかった。



ここからはただ春休みの思い出を語るだけのスーパー駄文タイムです。




 今思えばあの頃抱いていた期待度は18年間生きていて一番のものだったし、何よりも神戸に帰れることが嬉しかった。高校時代を地元で過ごせたのはかけがえのない財産になったし友達や先輩後輩にも恵まれ個人的には充実した高校生活を送れたことは間違いないのだが、やはり物心ついた頃から9年間育った街が恋しかった。転校が多い学生生活だったけど最終的に希望通りの場所に落ち着くことができたことで全部救われた気持ちになっていた。


 3月の初めに卒業式を終え、神戸に行くまでの2週間地元で毎日のように思い残すことがなくなるまで遊んだ。3月20日弓道部の悪友3人を連れて18きっぷに神戸に帰ってきた。彼らと遊んでいるときは日常の延長感があって特に楽しい以外の感情はなかったが、彼らが帰ってしまった日は喪失感にかられたのと同時に一気に新生活が始まるという実感が湧いてきた。

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深夜に天文館のゲーセンを牛耳っていた男達


 
彼らが帰った後何をしていたというわけでもなく、ひたすら甲子園に足を運んで選抜をほぼ全試合見に行った。友達と一緒に朝から並んで席をとったり、大阪桐蔭出身の友達のおかげでブラバンを間近で聞いたりしていた。ちょうど根尾藤原世代の時だったのでその春は桐蔭が優勝したはず…。高校野球も僕が神戸に住んでいたころよりも人気が過熱していて選抜で朝から並ぶというのは初めての経験で時代の流れを感じた。そうこうしているうちに入学式当日になった。