バナナの黒いとこ

ハイドロポンプの略称はドロンプ派です

1日目

1人で信州合宿のルートを半分ちょっと走りプレ合宿をした気分になった僕はあまり浮かれ気分になることなく出発当日を迎えることができた。9時に仁川駅集合だったが、始まりの場所へ行きたいがために少し早めに家を出る。

f:id:HK921:20210731223504j:plain 全てはここから

サイドバックを両側に付け上ケ原へ登ることに一苦労しながら自分のコンディションを確かめた。9時丁度に仁川に着くとちゃんとみんなやってきた。遂に始まるんやなと実感が湧いてきた。
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しかし余りの暑さのおかげで中々にしんどい道中だった。30数キロ走るだけなのに7回ほど休憩しその度に水分を補給せねばもたない。まあ初日ということもあり致し方がないがいち早く涼しい場所へ行きたいものである。目的地が次々と最高温度の歴代記録を更新していることは見ないふりをしている...
f:id:HK921:20210731225255j:plain Siriがデカすぎる
f:id:HK921:20210731225655j:plain ロッテのチャンテを爆音で流し英気を養う

ちゃんと3年前と同じ定食屋さんでご飯を食べ先を進む。3年前某〇林くんはここで帰ってしまったので、何か僕らにもその呪いがかかったのかしんぺいがパンクしたので直してやった。その後昔しんぺいにガリガリ君を奢らせたファミマでまたしてもアイスを奢らせた。かつては1回じゃんけんに負けただけで文句を言われたものだが、今回はすんなり買ってくれた。優しいね。
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全員ヘロヘロなりながら17時過ぎにテンバの道の駅の着いた。がしかし晩飯にする予定だった食堂が17時ラストオーダーという余りにも予測できない時間だったため狼狽した。その上前回寝た場所が有料のキャンプサイトになっており、しかも1回8000円という強気の値段設定だったため初日からいきなりテンバ変更を余儀なくされた。初めて道の駅で野宿した思い出の場所だったのに残念だった。こればっかりは仕方ないが。風呂は併設されていたので無駄足ではなかったのが救いだった。結局近くの山の上にあるグラウンドで寝ることにして、僕が持ってきた食糧をこの日に晩飯にした。
f:id:HK921:20210731231420j:plain 死ぬほどうまい

0日目

体感は短くとも、とにかく耐え凌いだ1年だった。


まず2020年7月、合宿中止を決断し精神がズタボロに。


8月、高校時代の友達が西宮に遊びに来てくれて大分リフレッシュできた。がしかし、浮かれすぎて財布を落とし一文無しになった。身分を証明するものも無くなり何者でもなくなった。アホすぎる。その後先輩達と敦賀まで行って、そこから実家に帰り、身分証を取得するべく車校に通う日々が始まった。2週目ぐらいでネムハラを受け北海道行きを決断。


9月、無事に車校を卒業しドライバーの仲間入り。後輩らとアワイチに行く。屋久島に行っていひとさんに会うなど大分充実した1ヶ月だった。


10月、南くんと宗谷。全てが報われた気がした。付いてきてくれて本当にありがとう。他にも先輩らに奈良へ連れて行ったりしてもらって貴重な時間を過ごせた。


11月、秋合宿で暴れた。暴れすぎて疲れたがやっぱサイク最高なんよなーと再確認。専修の遠足で広島に行く。


12月、ここら辺から隙あらばタイムズのカーシェアで遊ぶようになる。掬星台に週一で登ってた。潮岬へ行ったり、桑名まで自走して北澤家のekワゴンででちたいちしたりした。


1月、年明けはしんやとすごした。新宅さんと重政さんと18きっぷで博多に行った。その後帰省。ハチ高原にスキーしに行った。月末、色々あってメンヘラになる。


2月、重政さんと高松から伊予市まで走った。流石に就活と向き合い始める。手始めに他己分析しあったが、半分悪口大会になる。ダイパリメイクが発表され歓喜乱舞。


3月、いよいよ本格的に就活が始まる。とりあえず1日なった瞬間に2時間ぶっ続けでマイページ作成しエントリー。ちょうどこの日にポーアイマイナビのイベントがあったので行ってみる。今思い返してみると3月が1番忙しかったかもしれない。オンラインでの説明会が多かった分まだ楽だったのかもしれないが、普通に対面もあったのであちこち行く事が増えた。実際にこの月も鹿児島に帰ることになったし、毎月のように移動を繰り返していた。月末余った18切符で尾道へ。


4月、面接も始まってきた。僕は初っ端が対面だったのでバチくそに緊張してしまったが、この時の経験が後に生きた。阪神タイガースさんが例年にないレベルで調子良くモチベも高かった。新入生の子と3回生とゲリラ新歓しておセンチに。


5月、GWに先輩らと久々アワイチ。神原さんの家で麻雀したりした。周りが内定出だしてきて焦っていたら案外すんなり1社から頂いた。第1志望の某企業の面接が福岡で2回あり貯金が消えた。しんぺいとキャッチボールしてる途中にもう一社内定通知の電話を頂いた。


6月、第1志望の最終が終わったが結果が出るのが2週間後だったので継続。北海道の某企業の試験が東京であったのでいざ上京。会いたい人にもお世話になりお礼も言えた。そしてその三日後、第1志望の企業から内定を頂くことができこれにて就活終了。周りも無事に進路が決まりずっと待ち望んでいた北海道への計画を進める...


今の所なんだかんだ上手くいっていると自負している僕の人生だが、この1年を乗り切れたのは間違いなく今年の夏への想いをモチベにできたからだと今となっては思う。色々犠牲にはしたけどやはり僕の大学生活はサイク無しには存在しえないし、だからこそ最後までサイクに捧げたい。ひとまず明日から僕は去年奪われた夏を取り戻しにいく。実質4日で450km、総獲得標高4150mという訳分からん日程ではあるが1年間募りに募った想いを背負って行ってきます。
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ROMANCE DAWN

後半

8月といえど湖岸の夜は風が心地よく、4時間ナイトランした身体を休めるのには充分だった。古谷さんとはここでは書けないような話もしたがサイクや就活の話題で2時間以上話し込んでいた。同会とは差しで喋ることはしばしばあるが、先輩と長い時間話すというのは久しぶりだったので時間が過ぎるのがとても早く感じられた。途中で何度か高階さんが寝付けないということでタバコを吸いに来たりしたが結局僕らが寝るタイミングで快活に避難された。以前高階さんから野宿初日は寝れないという話をしていたことを思い出した。僕も割とその質でプレ2日目は寝不足で迎えしんどくなりがちなので勝手に同情していた。とか考えながら久しぶりの銀マットに横になっていたら段々空が明るくなってきた。
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流石に疲れたし寝れるやろと慢心していたのがフラグだった。何度も寝返りをうって体勢を変えたり羊を数えたりしたが一向に寝付けないうえに朝日が顔に差すようになってどうしようもなくなった。しょうがないので寝袋を顔に被って目を瞑ったら少しではあるが寝付くことができた。


と言っても1時間程で目は覚めてしまいゴロゴロしながら先輩らが起きるのを待った。僕は人よりも睡眠が浅く神経質な方なので割と複数人で野宿したら最初の方に起きることが多い。なので人が起きるのを待つという行為自体が好きだったのだが、テントを使い始めてからその快適性に依存してしまうようになりよく寝る人になってしまった。この時久しぶりに昔のスタイルで寝たおかげで待つ時間を味わえていい体験ができた。いひとさんは既に起きていて僕は1年ぶりの再会だったので色々話していた。その後程なくし他の人達も起きてきたので朝飯を食いに移動した。
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将来大津に住むことがもしあったらここの湖岸にあるマンションに住みたい


49期の先輩とは合宿にも3回行かせてもらったがそこに47期の先輩が加わると断然新鮮に感じた。高階さんとは1回の冬一緒に大垣まで走ったりしたことがあったが、秋合宿に行けなかった僕はいひとさんと西田さんと共に走るという経験が無かったのでこの時は高揚感でいっぱいだった。それに加え自分が1番下という状況も久しぶりで1回生のような気分だった。


マクドで班決めをしてネカフェに避難した高階さんを待っていた連絡がつかなかったので先に重政さん古谷さん僕の3人で走ることになった。起きてこんやつがおったら49期なら置いていく、50期なら...みたいな話をした。実際に僕らならどうしただろうか。この時は待つと思いますよと返したが僕が当事者になったら置いていかれそうだ...


早速北海道合宿でありそうで無かった班の3人で走り始めた。当然のように時間は既に昼前で暑さはどんどん勢いを増していった。それに加え堅田まで渋滞が続いており走りにくいこと極まりなかった。滋賀県民自粛しろよみたいな話をしたが県を跨ぎまくっている僕は何も言えなかった。渋滞をぬけるとスムーズに走れるようになったが突然始まるアップダウンと暑さにやられてこの時トップをしていたというのもあってしんどかった。流石に休憩したいと思い適当な信号で止まって涼める場所を探した。丁度いい所に水が流れてる側溝があったので暫し休息した。
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普通に遠い敦賀

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自販機を探していたらちょい遠くにあったけど自販機ありましたよとだけ伝えたら先輩2人ともかなり歩かせてしまった

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相変わらず人も車も多い


その後10km程走って平和堂の中にあったココスに入った。ここも繁盛しており滋賀県民の素性が伺えた瞬間だった。ハンバーグかなんかを食べたが疲れすぎて味は覚えていない。席を立つ時に重政さんがめさどく落ちてた500円を拾っていた。当時諸事情から現金に飢えてた僕はくださいと言いそうになったが自重した。その500円で冷凍のペットボトルを買ってもらいダラダラした。ここで49期特有のチキンレースに巻き込まれることになった。

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サイクの人とおると普通にこういうスーパーの前の地べたに座ってまうけど絶対邪魔


ちょうど時期を同じくして47期班が僕らに追いついて平和堂の向かいにあった道の駅に着いていた。ここで合流して最初に決めた班で敦賀を目指すという感じになるのかなと思っていたら先輩2人は向こうが来るまで動かないという姿勢を一切崩すことなく耐久戦が始まった。結局向こう側が先に出発するという形で一方的に負けを受け入れ僕らも走り始めた。古谷さんは輪行するという事だったので重政さんとのペアランが始まった。47期班に追いつくべく30km前後でガチ漕ぎした。路肩は広かったがバイパスみたいな道で合流がある度神経をすり減らしたこともあり2人ともマキノのセブンに着く頃には抜け殻みたいになってた。結局47期班とは違う道を走っていて合流せずにいつの間にか抜かしていた。

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まだこの時点で半分

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会長のエリート塩

マキノからは県境の峠に差し掛かる。もう日も暮れ始めていたので早速登り始めた。途中で休憩していたら47期班に抜かれてしまったので追いかけた。ここで47期の真骨頂が見えた気がした。ずっと喋りながら峠を登る人を初めて見た。しかも全くしんどそうな素振りを見せることなくすいすい登っていく姿に圧倒されてしまった。この人達には一生追いつけん気がした。引っ張ってもらったおかげで割とあっという間に頂上に着いた。ここは新宅さんのルビィちゃんポーズが誕生した聖地なのできちんと刻んでおいた。
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自走で初福井
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反対側

重政さんと2人でキモチェ〜と言いながらKOOLをふかした。正直峠の頂上というシチュエーションに敵う場所はないしこのためだけに吸ってるまである。流石にもうやめます値上げするし...


先に出発した47期班を追いかけると直ぐに自転車が止まってるのが見え僕らもそれに倣うと道のすぐ横の川で当然にように水遊びをしている成人男性らの姿が見えた。たまたま近くにいた軽トラのおばあちゃんにめっちゃ見られていた。僕らも無視する訳にもいかないし何なら水浴びしたかったのでそれに混じった。合宿中の川と言えば単純に流されたり団Tを流されそうになったりとあまりいい思い出がないが、この時は浸かっているだけで充分楽しめた。
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ただでさえ涼しいのに全身濡れると寒い

僕らの代は川とか海に入るのがめんどいとかぬかしてはすってる層が一定数いるので彼らにはこの姿を見習って欲しいものである。
しばらく遊んで流石に日が暮れるのでまた下り始めた。着替えを一日分しか持っていなかったので着替える訳にもいかずずぶ濡れのままサドルに跨った。1桁国道8号線でも車通りは少なく快調に降りることができ、着ていた服も直ぐに乾いた。気候といい風の感じといい有馬の下りが思い出されて1人おセンチになっていた。敦賀の街が見え始めた辺りで黄昏が良い感じになっていたので止まって写真に収めた。2年前の夏アフターでも去年の夏アフターでも夕焼けが綺麗に見えていたことも思い起こされこれまたおセンチになった。
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街に入ってすぐのファミマで後発した先輩らを待っていた。僕は数時間後の電車で帰る予定だったので重政さんにこれからの旅路について労いの言葉をかけた。20分ぐらい待って先輩らが追いついた。なんでもずっと登ってる途中に探していた滝が下りの途中にあってそこでまた遊んでいたらしい。しかもいひとさんのサンダルが片方流されそのまま裸足で乗ってきた。色々めちゃくちゃすぎるので何とも言えなかったが僕も川で幾度となく靴を流されそうになってるのでしょうがないなと勝手に納得した。いひとさんは片方裸足のままファミマに入店して僕の晩飯を買ってくださった。後にも先にもないシチュエーションやろうなと思いながらありがたくいただいた。ありがとうございました。
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また2人で風呂に向かって走り始めたが先輩が携帯を置いてきたと言って取りに戻ったのでラストは1人で風呂屋に直行した。すっかり日も暮れてしまい一気に寂しくなったが、風呂やで古谷さんと再会して安堵した。古谷さんは暇すぎて既に別の風呂屋に入ったらしくそれでももう一度僕らと一緒に入ってくださるということで僕も嬉しかった。西宮を発って24時間、流石に疲れ切っていたので風呂は最高に気持ちよかった。特に露天風呂で先輩らと道中の思い出を語らいながら疲れを癒す時間はやっぱりいつになっても至高やなと再確認した。電車の時間があったのでギリギリまで入りつつ別れの挨拶をして風呂を出た。

この短くも長い1日のおかげで全てが救われた気がした。先日行った後輩とのアワイチも含め僕にはやはりサイクしかないと確信を持った。あと1年と半年しか残っていないけど終わらない青春を追い求めたいです。

とある夏の24時間

正直気が滅入っていた。オンライン授業に全く対応できず単位をありへんほど落としたこと、行動の制限を強いられるクソッタレなこの情勢、バイトでのミス、高校の友達が折角遊びに来てくれたのに財布をなくす自分のアスペ具合、そして何より合宿ができない8月を迎えてしまったことが1番ダメージを受けるものだった。去年の今頃の自分に現在の状況を伝えたら間違いなく卒倒するだろう。こうなってしまった以上何も責められないと分かってはいるが、それでも事実を受け入れることができずにいる自分が存在するのは確かなことだ。


そんな中先輩方からとある旅に誘ってもらえた。なんでも4日ほどかけて西宮から富山まで(いわゆる信州プレルート)行くらしい。最初はバイトとか帰省の日程とか自分だけいい思いをするのはどうかと考え断るつもりだった。しかし短い間だけでもチャリに乗ることで鬱は多少軽減されるのではと気持ちを改め少しだけ参加させてもらうことにした。ただ解散したらすぐに帰省しなければいけないくそ日程になったため、銀マットと寝袋を持ちつつ丸1日18切符輪行をする羽目になった。


8月9日。 この日中に先輩らは大津まで走っているのでそれを追う形で始まる。バイトを18時に終え家に帰り風呂に入り支度を整えすぐに出発...と行きたいところだったがここでもアスペを発揮してしまい結局準備完了したのは19時半ごろだった。しんぺいの家にピンポンしに行ったが出なかった。彼は最近以前に比べ活発的になったのでワンチャン大津まで来ないかなと淡い期待を抱いていたがダメだった。
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何回押したかわからん部屋番号


今回はキャリアをつけずリュックに銀マットと寝袋を詰め込み、残りはフロントバックとサドルバックという今までのスタイルに囚われない形で走ることにした。オルトリーブで行ってもよかったけど輪行がめんどくさいのでこの形を採用した。
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スマートではある

これまでも大津までは5回走ったことがあったが、だいたい171か淀川を走って六地蔵から山科へ抜けるというのが定番化していたので少し違う道で行くことにした。最近ハマっている神崎川横のサイクリングロードを走り、少し淀川を走って渡り守口の方へ抜け、そこから1号線で巨椋池を目指してその後はいつも通り進んだ。

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この前野宿したところ
近畿道うるさすぎて環境が過去最高に劣悪

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半分ちょい進んでやっと京都突入
1号線走りやすいけどトラック多いし途中で歩道も消えるから夜走る時は注意。

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新快速爆睡マン
正直クッソ笑ってしまった

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巨椋池
辺り一面田んぼで何も見えんかったけど、まっすぐな道が続いていて北海道を身近に感じるにはここに来ればいいと知る。

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何とか大津突入
あとは逢坂山を超えるだけ

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もう慣れすぎて一瞬で終わった気がした。
ここ来る時ほとんど夜

逢坂山から大津の市街地は坂を下るだけで秒で入ることができる。日付は既に変わっていてさすがに全員疲れて寝てるだろうと思っていたが、古谷さんからたばこのおつかいを頼まれ安堵した。ゼンリーを見て琵琶湖の湖岸へ行くと古谷さんが出迎えてくれた。わざわざ僕のために起きててくださってて本当に嬉しかったです。そのまま2人で色々な話をした。就活のことだったり何なり話してとても濃い時間になりました。ほんまにありがとうございました。3時過ぎまでこのまま話してもう寝るかということでそこら辺に銀マットを引いて横になった。

文字うつの疲れたので次の日は後半に書きます。

輪行記録 2018北海道編

余りにも体調が悪すぎて寝れないので更新することにしました。前回の続きで僕の大学生活の馴れ初めを書いてもいいのですが、気分が乗らないのでそのうち書きます。それで今回は何について書くかと言えば、前からやってみたかった一つのテーマで自転車旅行を振り返ってみるということで今回は輪行というテーマに絞って思い出しながら書いてみます。

 

 

① 2018年8月16日 釧路→帯広

 記念すべき?初輪行は実は合宿中だった。輪行は甘えみたいな謎の概念に囚われていたし、実際チャリの構造も全然理解していなかったので極力輪行を避けた結果、西宮から釧路まで自走で来てしまった。一応合宿前に家で輪行袋に入れる練習をしていたので正確には初ではなかったが、いざやるとなるとちゃんとできるのかと不安に駆られた。

 伝説のすみれ荘で浦さんとクロックスが入れ替わるハプニングがあったりしたが同じ班だったので事なきことを得た。この日は岡本さんつねざわさんうらさんえりさんという「笑ってなんなん事件」の翌日にしてはできすぎた班だった。やっぱり神様っているんすねぇ。そして釧路駅から特急に乗って輪行することになるのだが、チャリも持ちながらサイドバック二つ持って移動するのも初めてだったので苦労した。この二つだけだったらよかったのだが、このときは銀マットと寝袋をパッキングしていたし小鍋も持っていたのでいっぱいいっぱいだった。なんとか荷物を積み込み列車に乗り込んだ。多分自由席だったが時期が時期だったので結構混んでいたので車両の前と後ろで分かれて乗ることになり、僕は岡本さんと隣になった。岡本さんと同じ班になったのはこの時が初めてだったし、それまでお話しさせてもらう機会が殆どなかったので最初は緊張していた。でも駅を出発する前から気さくにしてくださり結局降りるまでの2時間ずっとしゃべりっぱなしだった。いろいろな話をしてもらったが特に48期の東北プレの話は初めて聞くエピソードばかりで印象にのこっています笑。こうして初輪行は先輩のおかげで楽しいものとなった。

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若いぼく(19)

 

② 2018年 8月24日 宗谷岬稚内

 逆風の夜道をひた走り宗谷岬に着いて完全に賢者モードに入ってしまった僕は重政さんを台風が直撃する北の果てに残して稚内に戻る決心をしてしまった。その節は大変申し訳ありませんでした。今年の文集にも載せたことだが、時期を同じくして小学校からの友人が北海道を僕らと同じように自転車で回っていてこの日に稚内で滞在していたのでいち早く戻りたかった。というのも翌日から彼と一緒に稚内から小樽まで戻ってフェリーに乗る計画だったのでもし僕が遅れたら流石にまずいとなったからだ。ただ街灯ひとつないしけている海沿いの道を30㎞戻るのは気が引けたので路線バス輪行を決意した。奇跡的に21時台のバスがあったのでそれに乗ることにした。普通の思考であればただの路線バスで輪行なんてできないがこの時は3週間旅を続けて狂っていたので脳死で実行してしまった。幸い乗客は僕を含め二人だけだったので気を遣わずに済んだ。こうして無事に稚内に戻ることができ、友達と再会した。

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こんな遅くまで走ってるなんて何に需要があるのか

 

③ 2018年8月25,26日 稚内旭川手稲→小樽築港

 もうチャリは懲り懲りだったので18きっぷで友人と帰った。ただ帰るだけではつまらないので、旭川で一泊して動物園に行ってからフェリーに乗ることにした。確か10時ごろの列車に乗ったが、僕らのような観光客と地元民で車内は結構混んでいた。重政さんと二人で走ってきた道を横目に見ながら旭川へ戻った。旭川に着いたらジンギスカンを食べようと意見が合致したので金に糸目を付けずに食べまくった。そのあとはバッセンに行ったりボウリングをしたりして豪遊した。翌朝は動物園の開園待ちをして午前中はそこで遊んだ。夕方散々過ごした旭川を出発しいよいよ帰路についた。途中友達は札幌で水曜どうでしょうのグッズを買いに行きたいということだったので、僕は唯一手に入れていない黄色フラッグを入手しようと手稲という駅で降りてホクレンに向かった。がしかし店の前にはフラッグ完売の文字が。このせいで翌年こそフラッグ全種類集めようと意地をはることになってしまった。友達も目当てのものが買えなかったらしく互いに失意のまま小樽に着いた。この時ラプラスとさよならバイバイしたことに気づきよりいっそう僕はしょげてしまった。こうして北の大地に別れを告げた。

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鹿児島県民のくせに最北端の方を先に制覇する男

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旭川駅にて

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手稲駅で西川のレプユ二着たマダムに頂く

 

④ 8月28日 東舞鶴敦賀甲南山手

 フェリーでは友達と同じサークルのメンバー数人と仲良くさせてもらいこれもまたいい出会いになった。舞鶴に着き彼らを駅まで送った後、飯を食うかと思い店を調べたらすき家ぐらいしかやってる店がなかったのでそこに向かった。丁度着いた瞬間に藤井さんとたまたま出会い一緒に食べることになった。藤井さんとはフェリーがたまたま一緒だったのでもし舞鶴で野宿するなら一緒のほうがええなと思っていたところだったので嬉しかった。いろいろ思い出を語り合って奢っていただいた。その後テンバ探しをしたが良さげな場所がなく、結局駅の横の公園で寝た。お互いに野宿慣れしすぎていたので何も考えることなくそこで最後の外寝をした。翌朝、僕は始発で帰ると告げていたので、藤井さんを起こさないようにそっと身支度を整えて輪行して列車に乗り込んだ。西宮からは山道を越え2日かけて舞鶴まで走ったのにあっけないなとか考えてるうちに最寄り駅に帰ってきた。駅では北澤が迎えに来てくれていて1か月ぶりの再会を喜んだ。

 

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運命の再会 ごちそうさまでした!

 

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これにて閉幕

 

きっかけ

2018年2月、なんとかなるやろと特攻した第1志望の関学の合格証を手にした僕は夢にも見た薔薇色のキャンパスライフに思いを馳せていた。元々大学でも弓道を続けたいという一心でそこそこレベルの高い大学を目指していたので、サークルに入るという考えはあまりなかった。しかし受験の波に揉まれるうちにその考えも揺らいでいき全て終わったころにはどっちでもいいなというスタンスになっていた。

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在りし日の僕


 とりあえず受験勉強から解放されて封印していた3DSでわざわざ東京で記念受験した帰りにアキバで買ったポケットモンスターウルトラムーンを狂ったようにやっていたのでポケサーがあるかをTwitterで調べた。すぐに出てきた。もう少し詮索してみるとどうやら日本一になるレベルらしい。強すぎる。ポケサーが全国的に大学間で交流しているというのも驚きだったが、こんなレベルの高い環境でポケモンしたいと当時の僕は本気で思っていた。

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人に見せれるレートではない

でも流石に大学生活すべてをポケモンにささげるのも如何なものかとなったので別に運動できるサークルも兼業でやろうと決めた。初めに思い付いたのはテニサーだった。大学といえばテニサーみたいな偏見があったし僕自身中学時代はテニス部だったので全然ありやなとなった。このころ葺合の二人組も関学ということがわかったので、あいつらもテニス部やし丁度ええなということでテニサーは第一候補になった。次に候補になったのがサイクリングだった。昔からママチャリで遠くに行くことが好きだったし、日本中を自転車で旅行しているという活動内容が魅力的だった。また神戸の友達が何人かその頃からロードに乗っていてそれに対する憧れもあった。しかしあまりにも資金力に欠けていたので(今もだが)保留せざるを得なかった。



ここからはただ春休みの思い出を語るだけのスーパー駄文タイムです。




 今思えばあの頃抱いていた期待度は18年間生きていて一番のものだったし、何よりも神戸に帰れることが嬉しかった。高校時代を地元で過ごせたのはかけがえのない財産になったし友達や先輩後輩にも恵まれ個人的には充実した高校生活を送れたことは間違いないのだが、やはり物心ついた頃から9年間育った街が恋しかった。転校が多い学生生活だったけど最終的に希望通りの場所に落ち着くことができたことで全部救われた気持ちになっていた。


 3月の初めに卒業式を終え、神戸に行くまでの2週間地元で毎日のように思い残すことがなくなるまで遊んだ。3月20日弓道部の悪友3人を連れて18きっぷに神戸に帰ってきた。彼らと遊んでいるときは日常の延長感があって特に楽しい以外の感情はなかったが、彼らが帰ってしまった日は喪失感にかられたのと同時に一気に新生活が始まるという実感が湧いてきた。

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深夜に天文館のゲーセンを牛耳っていた男達


 
彼らが帰った後何をしていたというわけでもなく、ひたすら甲子園に足を運んで選抜をほぼ全試合見に行った。友達と一緒に朝から並んで席をとったり、大阪桐蔭出身の友達のおかげでブラバンを間近で聞いたりしていた。ちょうど根尾藤原世代の時だったのでその春は桐蔭が優勝したはず…。高校野球も僕が神戸に住んでいたころよりも人気が過熱していて選抜で朝から並ぶというのは初めての経験で時代の流れを感じた。そうこうしているうちに入学式当日になった。